本記事はBDO三優ジャーナル2025.Aug.No,165に寄稿させていただきました内容です。
「最近の日本経済の動向と企業の経営課題」
三優監査法人名誉会長 杉田 純
内閣府は6月9日に1~3月期の国内総生産(GDP)の改定値を公表した。実質の調整値は前期比0. 0%減、年率換算で0.2%減で、4四半期ぶりのマイナス成長となった。個人消費は前期比0.1%増でほぼ横ばいであった。物価上昇の継続から食料品がマイナスで、外食は天候に恵まれプラスであった。設備投資は前期比1.1%増で、研究開発、ソフトウェア向け投資が目立ち、デジタルトランスフォーメーション(DX)向け投資が増加した。公共投資は0.6%減、政府消費は0. 5%減となった。輸出は0.5%減と四半期振りのマイナスとなり、知的財産権の使用料減、前期に大型案件のあった研究開発サービスの反動減もあった。モノの輸出では自動車が米国の関税問題から駆け込み需要があったと見られ増加した。GDP成長率にマイナス寄与要因となっていた輸入は3.0%増となった。これは主としてwebサービスの広告宣伝料、航空機、半導体関連であった。前期比の成長率に対する寄与度は、内需がプラス0.7ポイント、外需がマイナス0.8ポイントであった。今後は、物価上昇の継続が個人消費マインドに及ぼす影響、加えて米国の関税を含む通商政策による景気の下振れリスクについて十分な留意が必要な時期に来ている。なお、個人消費マインドへ大きな影響を与える賃上げ率は、平均賃上げ率が集計可能な364社では5.49% (昨年は5.57%)で上場製造業の減益の影響も出た模様である。以上のように日本経済の先行きの不透明感が増す中で、民間のエコノミストの予測によると2025年の日本経済の実質成長率は平均で0.4%増としている(日本経済新聞調査)。この低成長率は。コロナ禍後の回復基調にあ。た’ 21年以降では最も低い成長率予想てある。その主たる要因としては、トランプ米政権の関税政策により対米輸出や国内外の投資の減少が見込まれることにある。自動車を中心とする対米輸出の減少、国内外での投資需要の減少が見込まれる上に、円安修正から製造業の業績悪化、更には消費者心理の悪化などが予想される。なお、関税引上げについてはGDPに対しては0.5ポイント程度の下押し効果と見ているが、中国、欧州の経済も下振れる予想もある。政府は昨年末に’25年度の実質成長率を1.2%と見ており、民間エコノミストも1.0%成長を予想していたが、今後の景気動向については慎重に見ていく必要がありそうである。
次に、世界経済の動向についても見てみると、国際通貨基金 (IMF)は’25年4月22日に世界の成長率見通しを公表した。本年1月時点の予測から0.5ポイント下げて2.8%とした。トランプ米政権の高関税政策が世界の全ての地域で下方修正するという総崩れとなり、米国自体の打撃も大きく、「世界景気悪化」の目安となる成長率の2.0%割れも3割の確率で起きうると警鐘を鳴らしている。’25年の成長率は3月下旬でIMFは1月時点の予測から0.1ポイント程度の下方修正と予測していたが、4月2日にトランプ大統領の大規模な相互関税が公表されたことから、一気に見通しが悪化した模様である。’25年度では相互関税により世界の貿易量の伸びが年3.8%から半分以下の1.7%へ縮むと予想している。新型コロナ禍の時と同様に供給ショックが成長を下押しするとしている。貿易摩擦に加え、金融情勢の急激な悪化のリスクも指摘している。成長率の下方修正の幅が大きいのは、震源地の米国であり’25年1月の見通しから0.9ポイント低い1.8%(前年2.8%)とし、米国は37% の確率で景気後退になると予想している。中国も前回から0.6ポイント引き下げ4.0%成長とし、ユーロ圏は0.2ポイント引き下げ0.8%成長、日本は0.5ポイント引き下げ0. 6%成長と見通している。IMFは今回の予測について、短期的にも長期的にも悪化する可能性が高いと見ている。
ここで、上場企業の業績動向について見てみることにする。国内上場企業の’25年3月期の業績動向であるが、純利益について見ると52兆1,352億円となり、前期比10%増と4期連続で過去最高を更新した。全業種のうち7割の26業種で業績が改善した。金融、海運の非製造業が20%増の純利益29兆8,267 億円と好調で、製造業の2%減の22兆3, 085億円という低迷を補った形になった。金融業では銀行が純利益約1兆4,000億円と全業種で最も増え、金利上昇と持ち合い株解消などで利益を押し上げた。保険業も同様に約8,600億円と好調だった。海運業は旺盛な輸送需要に船不足から約6,000億円の増益であった。通信は4期ぶりに黒字転換したソフトバンクグループが牽引した。他方、製造業の中では生成Alやデータセンター向け半導体需要の電子機器の増益額が1兆円強と好調で、東京エレクトロンの純利益は50 %増、アドバンテストは2.6倍になった。自動車・部品・鉄鋼は落ち込んだ。自動車は約6兆3,450億円と全業種で最も多いものの22%減であった。他方、’25年3月期の上場企業の最高益は手放しでは喜べない状況もあることは確認しておく必要がある。四半期別に見ると、’ 25年1月~3月期は6四半期ぶりに減益となっている。拡大してきた企業業績にブレーキがかかり、’26年3月期の業績予想について見てみると、プライム上場企業約1,000社の会社の集計では、減益予想企業も多く出ており、業種別には米関税と円高の影響を受ける製造業では7%減、米国市場の収益に依存する企業では32%の減益予想でホンダでは70%の減益予想である。鉄鋼も27%減で、中国で余った鋼材が市場を攪乱しそうである。上場小売業63社では既に’25年2月期で物価高による買い控え、人手不足による人件費増などから営業利益が前期比6%減と4年振りに減った。スーパー、コンビニも営業利益14%減、円高の進展はインバウンド需要への逆風となり百貨店、観光ホテル等へも影響が出ると予想されている。以上、’25年3月期の最高益確保は’26年3月期決算のために、全上場会社が今までとは異なるコストダウン、売上確保を計画しなくてはならない状況である。
に、上記の日本・世界の経済状況の中で、今後企業の経営課題となる点について、以下に述べることとする。
(一)米国トランプ政策による日本企業の事業リスクと対応
▶1)事業リスクについては以下の項目がある。①米国の関税政策では、べースの10%に加えて、自動車・部品、半導体製造装置等の25%、鉄鋼等の50%と業種別に拡大しており、医薬品等の輸入も別途加えられそうである。主たる上場企業36社の’26年3月期への影響額は計2.6兆円と予想されており、自動車は1.7兆円のマイナスの影響もあるとされている(日本経済新聞調査)。このことから、これらの米国関税政策への対応のため、急ぎ海外拠点配置やサプライチェーンの再検討が必要である。他方、全く別の視点から、為替差益を勘案するとドル円相場がトランプ1期目の相場110円で現在の相場140円程度を勘案すると110÷140 =79%に日本製品の価格は低下しており、自動車関連の製品も79%×125%=99%となり、何とか競争力を保てるという意見もある。②米国は関税と不法移民の送還による人手不足からインフレ状態となり、ドル金利は高止まりする可能性がある。この対応は簡単ではないが、注意すべき点として、米中両国の企業を病弊させるので米中の企業取引については留意が必要となる。又新興国はIMFなどから米ドル建てで融資を受けており、高金利のまま推移すると借入の多い国では輸入支払い等のトラブルが生じる可能性もある。従って、今後は、カントリーリスクの精査、海外取引先の信用度の再確認によるリスクへッジが必要となる。③中国(及び香港)は事実上米国市場へのアクセスが相当規模で制限されるため、国内景気も冴えない状況の中国企業は近隣のアジア諸国への輸出攻勢を強めるため、日本も含め中国企業との激しい競争に巻き込まれる可能性が高い④米国のエネルギー政策の転換で、温室効果ガスの削減にブレーキがかかり、全世界的に気象災害リスクは高まると想定される。
▶2)米国のインフレは世界経済の最大のリスク要因となる―米国製造業の復活を狙うこの政策は米国内で米国製品はあふれるが米国は高コスト国であり、人手不足が重なり必然的にインフレなるわけであり、インフレが進めば、ドル金利の引き下げは不可能となり、インフレ、高金利では減税しても米国の景気は簡単には良くならない。他方、懸念されるのが中国保有の米国債が売られ始めたことであり、これは更に米ドル長期金利の上昇も招く怖れがある。トランプ政権は始まったばかりであり、日本企業は多くの視点からの可能な対応を急ぎ着手する必要がある。
(ニ)コーポレートガバナンス関連の課題
▶1)東証のIR(広報)体制の義務化―東証は今夏を目途に上場企業に「行動規範」の中にIR担当役員や担当部署の設置、説明会・資料の充実の記載を盛り込むことを要請するという方針を予定している。日本IR協議会の調査では、上場企業の 4割はIR担当責任者を置いていないのが現状である。伊藤忠商事では、担当部署はもとより’24年だけで投資家との面談回数が600回を越え、資生堂、住友化学など大手上場企業は既に体制の整備を終えている模様である。一方、中小の上場企業ではIR担当者は置いても、年間で説明会・面談は10回程度のところも多く、課題が残っていた。IRを重要な経営課題と位置付けない企業の意識改革には時間がかかるとみており、負担増を懸念する声も多く、ある上場企業ではPBR1倍以上を達成し、利益も成長しており、ROEの改善も進みつつあるのにこれ以上対応する必要があるのかという疑問を呈する企業も出てきている。東証は、IR優秀企業賞を受賞した企業の27社の平均時価総額が’08年比で5倍(プライム平均3倍)となっていることなどを挙げ、IRの優れた企業は外部環境の変化で株価が下落しても回復も早く、中長期でも上昇幅が大きいことを利点に上げている。東証の新ルールは企業がより一層投資家目線の経営に前向きになることを求めている。
▶2)社外取締役の投資家との対話の増加―ご存じのように’15年にCGコードで東証プライム上場企業には、取締役会の3分の1以上の社外取締役、うち独立社外取締役を2名以上選任することが要請されていた。そのため、この社外取締役や独立社外取締役の配置要請については、女性社外取締役も含め大多数のプライム上場企業では基準をクリアしてきており、現在は社外取締役の個々の企業経営への理解や不足する経験・知識などの引上げのための研修体制の充実・強化なども開始されはじめている。更に、投資家からの要請もあり、社外取締役が投資家と対話する機会が増加している。これは企業統治重視の中で、経営の規律維持など社外取締役の役割に期待が高まっていることも影響している。NEC、オムロンは’24年から社外取締役と投資家の対話を始めている。三井住友信託銀行の調査では社外取締役と投資家の対話を始めた時価総額500億円以上の会社は48%に達したとしている。これまでは、社外取締役はご意見番のイメージが強かったが、今後は企業の適正な後継者育成、成長戦略、リスク管理などについても主体的な役割を果たすことが期待され始めている。つまり、社外取締役の人数合わせ、お飾りの時代は終わりつつあるということである。
▶3)統治改革の今後―CGコードが’15年に制定・公表されてからちょうど本年6月に10年がたち2度の改訂も経て、独立社外取締役 2名以上選任の割合は’24年度にはプライム市場では98.2% (’14年9.6%)で10倍になり、ROE重視経営、投資家との建設的な対話、資本コストや株価を意識した経営など株主価値向上の取組みが進んでいる一方で、最近になって企業の富の分配が投資家に偏っているのではという疑問が持たれ始めている。10年間で株主還元は2.3倍、従業員の賃金・福利厚生費は 14%増、設備投資は29%増(早大スズキ研究室調査)であったという分析が出ており、ROEなどの指標重視から株主から評価されやすい機械的な株主還元に傾きつつある。本来は株主価値だけでなく、人的資本である社員の生活の豊かさにつなげていかないと東証改革も長くは続かないということであり、設備投資もあまり伸びていないことも考え合わせると、基本的には現在・将来の事業基盤を構成する投資の継続も企業価値向上に大きな役割があるが、’23年度は実額ベースで設備投資51兆円、株主還元47兆円となっており、企業は将来の事業拡大の投資や現時点での脱炭素化のために必要な投資などを超える株主還元をしているのが現状である。ここでは短期志向の株主還元(株主重視)だけでなく、人的資本への配分による企業の活性化や必要な設備投資も合わせて継続的に行うことにより、適正な企業の富の再分配を今一度見直す必要がありそうである。