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第5回記事 ベンチャー経営者と支援者が向き合う企業価値担保権の実務論点(その1) (2025年9月の全国銀行協会資料を踏まえた実務的視点から)

Ⅰ.制度の趣旨と期待される変化

2026年5月に施行予定の企業価値担保権¹は、無形資産を担保に融資を受ける新たな制度であり、経営者保証に依存しない資金調達の選択肢として注目されています。特にベンチャー企業にとっては、AIアルゴリズム、顧客データベース、ブランド、契約群などの担保目的財産²を活用することで、成長フェーズに応じた柔軟な資金供給が可能となります。 本制度の特徴は、従来の不動産担保型融資とは異なり、事業性評価³を重視する点にあります。金融機関は、将来キャッシュフローや顧客基盤の持続性といった成長連動評価⁴を通じて、融資条件を設計することが求められます。

Ⅱ.支援者が押さえるべき5つのリスクと対応

1. 事業譲渡リスク⁵

債務不履行時には、事業全体が譲渡される可能性があります。AIアルゴリズムや顧客データベースなどのコア資産が第三者に引き継がれ、競合に流出する懸念があります。通常の事業活動(仕入れ・支払い)は自由ですが、主要資産の処分には担保権者の同意が必要です。事前に譲渡シナリオを検討し、同意条件や保護策を契約に盛り込むことが重要です。

2. 評価の不確実性⁶

無形資産の評価は金融機関の裁量に依存し、実績の乏しい企業では保守的な予測がなされる可能性があります。これにより、希望する融資額が得られず、研究開発や市場投入が遅れるリスクが生じます。第三者評価や複数手法の併用、評価前提の明示が有効です。

3. モニタリング負担⁷

四半期ごとの進捗報告や財務指標の遵守義務が発生し、管理コストが従来の融資の1.5〜2倍に増加する可能性があります。リソースの限られたベンチャー企業では、本業への集中が難しくなり、イノベーションが停滞する恐れがあります。報告指標の絞り込みと自動化、外部支援の活用が推奨されます。

4. 信用不安(登記公開による誤解)⁸

担保権の登記が公開されることで、取引先や投資家が財務悪化と誤解する可能性があります。支払い条件の変更や投資撤退を招く恐れがあるため、登記前に説明会を開催し、融資が成長戦略の一環であることを明確に伝える必要があります。

5. 債権競合・雇用維持⁹

担保実行時には、他債権者との優先弁済競合や、管財人による人員再配置が発生する可能性があります。専門性の高い少人数チームでは、士気低下や事業継続困難につながるため、雇用維持方針を契約に盛り込み、管財人の行動指針を事前に合意しておくことが重要です。

Ⅲ.ベンチャー企業に求められる対応

制度開始まで半年以上の準備期間がある今、問われるのは「経営者に何が求められるか」です。制度の詳細運用はまだ確定していない部分もありますが、重要なのは「制度を使いこなす準備が今から始まっている」という認識です。また、この制度は“待っていれば使える”ものではなく、“準備した企業だけが活かせる”ものです。この期間に準備できるかどうかが、制度を“使いこなせるか否か”を分けることになるかもしれません。

現時点での対応は、細部のシミュレーションよりも、実務的な構えと体制づくりが中心となります。経営者に求められる視点は、次の3つに整理できます。

1. 社外対応

  • 金融機関との対話:制度の趣旨を理解し、評価・契約設計の方向性を共有する
  • 投資家・取引先への説明:登記や担保設定が誤解されないよう、事前に説明資料を準備
  • コスト見積り:信託設定費用、評価費用、モニタリング手数料などの初期負担を把握し、交渉材料とする

2. 社内整備

  • 事業計画の強化:市場分析、収益予測、KPI設計を含む3年計画を整備
  • データ開示体制の準備:報告指標の選定、ダッシュボードの試作、提出フローの設計
  • 軽量なモニタリング仕組み:会計API連携、スプレッドシート運用、外部レビュー体制の導入

3. 姿勢・マインド

  • 制度を学ぶ:制度趣旨、契約構造、支援機関の役割を理解する
  • リスクを機会に転じる:事業譲渡リスクや信用不安を、事前設計と説明によって制御可能なものと捉える
  • 前向きな構え:制度を「使われるもの」ではなく「使いこなすもの」として位置づける

こうした取り組みは、いずれも「実行チェックリスト」として具体的に落とし込むことができます。詳細は次回に紹介しますが、今回のメッセージとしては「経営者に求められることは、今から準備を始めること」だと印象付けることが重要です。

次回予告:実行チェックリストのご紹介

次回は、経営者・管理部門が実際に着手できる「実行チェックリスト(初版案)」を公開します。そこでは、無形資産目録の整備、主要KPIの設定、ステークホルダー説明の工夫、契約交渉やモニタリング設計といった具体タスクをリスト化します。制度活用を現場に落とし込む際の行動指針としてご活用いただけます。

脚注

¹ 企業価値担保権:無形資産を担保に融資を受ける制度。2026年5月施行予定。経営者保証を不要とする点が特徴。
² 担保目的財産:契約上、担保対象として明示された資産群。技術、顧客情報、契約などが含まれる。
³ 事業性評価:企業の将来収益性や事業継続力を基にした融資判断手法。
⁴ 成長連動評価:売上やARRなどの成長指標に応じて、融資条件や担保価値を見直す仕組み。
⁵ 事業譲渡リスク:債務不履行時に事業全体が譲渡され、技術流出や競争優位喪失の恐れがある。
⁶ 評価の不確実性:金融機関の裁量により、無形資産の評価が保守的になる可能性。
⁷ モニタリング負担:報告義務や指標遵守による業務負荷の増加。
⁸ 信用不安(登記公開による誤解):登記公開により、財務悪化と誤解されるリスク。
⁹ 雇用維持:担保実行時に管財人が人員再配置を行うことで、士気低下や事業継続困難が生じる可能性。

参考資料

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